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2024/7/27

 聞いてほしいことがあるんですけど、Adobeに9900円取られる。僕もいま書いていて「本当に?」と思ってるんですけど、取られます。てか取られた。うおおお!!!!!


 ひと月と少し前。AdobeのなんかPDFを編集するやつ(ぴいへん)のサブスク無料体験を契約したのだった。動機は就活の履歴書を書くため。月々1980円のやつの無料体験だ。で、うっかり無料体験中に解約するのを忘れてて……とりあえず1980円取られた。まぁそれはいいんですよ。僕の過失ですからね。


 でもそのあと!!!!!


 追加で9900円取られました!!!!!


 僕の契約したプランは「年間プランを月々のローンで払う」というやつだった。たしかにまぁ、よく考えたらその時点でなんか変な言い方ではあるんだけど……、うっかり解約を忘れても一番ダメージの少ないプランだったので、それを選んだ。


 そしたらさぁ!!!!!


 それ、途中で解約すると「その年度に支払うはずだった金額の半分を請求することになる」プランだったんだって!!!!!!


 何それ!??!?!?  遊戯王の罠カード!??!!?!?!!?!?


 この罠により、ボクちんは残り11ヶ月の合計料金19800円の半分、9900円をAdobe社に支払いました。ハロホロヒレハレ……。


 この辺の罠、もう正直全く気づかなかった。恥ずかしいくらい。この記事に詳しいのだけど、そもそも解約手数料関連のことが相当わかりづらく隠されていて、アメリカ本土で訴訟までされてるみたいだ。訴訟のことは知っていたのに、まさか自分があっさりカモになってるとは思わなかった。流れてきたネットニュースくらいめんどくさがらずにタップしておけばよかった〜!!!!!


 正直けっこうキてる。かなり。ただでさえ困っていて、それでも執筆に専念したいからと攻めの一手を打った時期だ。こんな厄介な羽目になるとは思わなかった。はぁ〜……もう外国のサブスクは懲り懲りだよ〜!!(物足りないから  停滞した残映にいざさらば)


 以前の自分だったらこれでクソほどバッド入ってちょっと暴れてたり、「ワンチャン勝訴待つか……?」と考えて契約を継続していたことだろうけれど、いまの僕は違う。ここも攻める。一気に9900円の解約手数料が発生するのを知りながら、ここで解約する!!


 どうしよう。


 殺してくださいよ。もう。

(実際に何が起こるのか書いたら絶望した)


***


 ついにブルアカのPC版を入れた。そしたら思ったよりログインが簡単にできたので、そっちで対策委員会編3章を全部読みました。


 ブルアカ。容量が全く足りなくてアプデできなかったり、起動しようとしても何分間も立ち上がらなかったりで、ほとんど触れてなかったんだよな。興味の有無とかじゃなくて単純な端末のスペ不足だった。僕が最近ブルアカの話してなかったのは。今日めっちゃがんばってファイル整理して、ようやく起動できたけど、とんでもない処理落ちと音割れが発生してて、これはもうキツいな〜という感じだった。


 それでPC版を導入し、対策委員会編3章を読んだ!!  いや〜。おもしろかったですね。


 正直「あれ、ここはこれでいいんですか」というところもなくはない!!  というか、素直に言えばめちゃくちゃある!!!  シナリオとしてもテーマとしても、まだ咀嚼できてないところだらけだ。けっこう妙なシナリオだったとは思う。


 でもそれを補ってあまりある要素の回収と演出の良さ!!  後半ははっきりと起伏に飛んだ面白いシナリオだったし、テーマ面も、ブルアカには必要な要素についてしっかりとアンサーを出した感じで、よかった。能動的に世界を救ったエデン条約編とかと違って、「巻き込まれた感」は否めないけれど、それも含めて大人の役割、ということなのかなと思う。何はともあれ楽しかった!  ピカおじに感謝やね。


 ただ一方で、モヤってるところも正直ある。ネタバレになるから詳しくは書けないんだけど……いや、でもこの日記の最後に!  いちおう具体的なことはあんまり書かないようにします。こういうのをもったいぶるのやだな……(順番間違えた)。


***


 この曲めちゃくちゃいいなと思ったら、『ゼンレスゾーンゼロ』の子の曲だった。最近FAKE TYPE.でもこれあったな。ゼンレスゾーンゼロに取り囲まれている。


 それはそうとこの子めちゃくちゃ好きなんだけど(エレン・ジョーというらしい。キングジョーみたいな名前)、プレイヤーの兄によると、数日前にガチャ終わったって。


 おい!!!!!!!!!


***


 ブルアカの話!!


 なんというか、自分は「成長しないことの否定」みたいな文脈が苦手なんだと思う。自分自身がこんなにナヨナヨしてるからだろうか。


 人は時間が経ったら勝手に大人になるわけじゃない。世のシステムがいつの間にかだんだんと社会性を要求してきたとしても、そこに誰もが追いつけるとは限らない。自分が「成長しないことの否定」が苦手なのは、それが「世界の速さに追いつけない人の否定」に見えてしまうからだと思う。


 フィクションで「大人になりきれない年長者」や「思春期的感情にいつまでも囚われる子ども」が否定される度、それは本当に必要な追い打ちだったんだろうか?  ということを考えてしまう。対話を拒み、思い出に浸り、空想に浸り、引きこもること。それを、どうしても直感的に悪だと思えない。『グリッドマンユニバース』でもなんか同じことを思ってしまって、観たあとに咀嚼しきれずにいた(それで一緒に観た友人には普通にめちゃくちゃ怒られた)(それは普通にゴメン)。


 ブルアカって明確にエヴァを踏まえた作品で、元が「子どもが責任を負わされてパニックになる世界」なのは共通しているんだけど、そこに「子どもの代わりに責任を取ってくれる大人」を一人投入したのがブルアカなんですよね。ただ今回、そんな「大人」がいない状況で「子ども」がどうなったかって、そこはエヴァと同じで、普通にパニックになる。


 その解決、どうなるの〜!?  と思ったけど、想像より先生がしっかり干渉して解決しちゃったなぁと思ってて。もちろんキメの部分は当事者の「子ども」に担わせてるし、そもそも「先生」ってそういうものだと思うから、よかったなとは思うんだけど!!!  主人公だから作劇上仕方ないし。でもぉ……。


 最近の作品は、子ども(というか、思春期(=子どもから大人に変わる時期の人間))に対して、「周りの人の好意から逃げず、しっかり向き合って大人になること」を求めていることが多いと思う。最近の作品というか、エヴァへのアンサーをやってる作品(シンエヴァ含む)ですね。周りの人が自分のことを考えてくれてることを見逃さないで、自分もキャッチアップして視野を広げるべき、という思考。全面的に正しい。正しい一方で……ぶっちゃけ、それができりゃあ最初から誰も苦労してない!!!!!  と、思ってしまう。


 素直にならず、「誰もわかってくれない」と暴れ回る。他人の好意を無視して、一人でくるしいくるしいと愚痴をこぼし続ける。たしかにみっともないし、いつまでもそんなことしてちゃあいけない。でも、そういうガキのプライドを捨てることって、本当はもっともっと辛いし、誰にでもできることじゃないし、誰かが誰かに強制しちゃいけないものだと思う。世界が誰かに強制することも、理不尽だ。


 ブルアカは実際面白かった!!  こういう点に関しては思い返せば一貫していたし、その意味ではブルアカらしいストーリーでもあって、文句はない。でも、誰かに「大人になれ」と言われて大人になるのって、じつはすげぇいびつな構造があるんじゃないかと、僕は思ってしまうのだ。「大人になれ」と言ってくれる親切な誰かがいることは喜ばしいし、幸福だ。けれど、僕らはそういう優しい人の親切な言葉にこそ、傷ついてきたんじゃなかったか。「大人になれ」を「お前はガキだな」とバカにされているように感じ、ムカついてきたのだ。その通り、ガキだから。


 対策委員会編3章はセカイ系、というかブルアカがリスペクトしてきた日本の作品群へのちゃんとしたアンサーになってるんじゃないかなと思うし、めっちゃおもしろかった!!  しかしこのままエヴァへのアンサー作品が出す回答が、「周りの人の厚意に自覚的になり、悲しかった過去を振り切って大人に成長すべき」という一色に染まってしまうのは……なんというか、もったいない気がする!!!  そんなに簡単に振り切れるもんじゃないから、あんなに苦しんできたんだ。


  「常軌を逸して苦しいので正常な判断ができない」という状態のキャラクターに、「正常な判断とはこうだ」という正論のテーマをぶつけても、それは妥当な解決策にはなってないと思う。創作物の中で結果的にその説得が上手くいっても、それは『いま苦しんでいる人のための物語』にはならない。『すでに救われた人のための物語』だ。すでに救われた人が、自分の選択は間違ってなかったんだって確認するために見る物語になる。あるいは、まだ救われていない人が、自分はもう救われていたんだと知るための物語。おもしろいし、あっていいけれど、世界に存在する「誰にも自分の苦しみをわかってもらえない子どもの話」の出す回答が全部それになったら、救いがねぇよと僕は思う。


 巨大な闇に立ち向かう手段は、それを消してゼロにすることではなく、それより大きな光でかき消すことであってほしい。絶望には希望が対抗してほしいし、マイナスにはプラスが対抗してほしいし、不安には安心が対抗してほしい。解決された平坦な道でなく、常にピンチとチャンスが入れ替り立ち替るものであっていい。仰る通りに独りよがりなんだけれど、でも捨てることや乗り越えることが悲しみへの唯一の対抗策であってほしくない。子どもに「大人になれ」って言って気持ちいいのは、大人だけだ。いま苦しんでいる子どもに「大人になる」以外の解決策を提示する創作物が、もっとあるべきなんじゃないかと僕は思う。


 ↑自分で書け。おばか。