数日前のこと。気が狂うほど苦しくなって、お酒を飲みすぎた帰りだったこともあって、ボロボロに泣いていた、怖くて。途中から自分のやることすべてが空回りしてしまって、この世の全てが自分の手の届かないもののように見え、ひたすら時間が止まってほしくなるような日だった。
主な原因はさびしさと疲れだった。僕はずっと小説を書いてきたけれど、書いてきた分量に対して、自分で納得できるほどの成果は出せてない。そこでの疲れが一つ。もう一つは、小説を書いていることで、逆に、いままで対等に友達としてやっていってたひとたち、同じサークルのひとたち、が、僕と距離をとるというか、「自分はあなたみたいにちゃんと小説を書けないから」と一線を引いたりしてくることが、そういう現象が、ずっと辛かったのがある。
書き続ければこの悪夢が終わると信じて書き続けて、でも、結局振り返ってみると、いままで色んないいことはたくさんあれど、この状況はほとんど変わらなかったと思う。どころか、書けば書くほどに孤独は色濃くなっていった。泣いた日の帰り道は「やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ」とボソボソ言いながら頭を抱えて夜道を歩いていた。
本当は隣で、そうでなくともどこかで、自分と同じように、自分の理想に向かって悩んでいるひとについて、知りたかった。こんな傲慢な視点はなくて、だからなかなか言えなかったけれど、創作家を志していた同年代がXで「自分はもう本業じゃなくて、裏方として業界を支えられればいいかな」と言っていたときの落胆は、正直未だに忘れられない。そういう心の動きがあること自体は否定しないし、とても立派なことだとは思うけれど、一方で、それは過去の自分に対する盛大な裏切りのように僕には見えて、ならなかった。プレイヤーになれないフラストレーションの昇華の仕方として同じ業界に入るというのはあまりに正しいんだけど、正しいが故に、そんなもっともらしい理屈つけて自分が大事にしてたもの捨てんのかよ、すげえつまんねえよ、と思った。ただ周りのひとたちも軒並みそんなもんで、ああ誰かを裏切り続けてるのって僕のほうなんだなってことにはわりとすぐに気づいた。何かになりたいと思ってたやつも、そうでなくとも自分は周りと違うとか、こんな面白いものを俺私は知ってるんだぞってプライドとか、そういったものはだいたい大学三年生になるあたりで剥がれてばっかいって、それが僕には、もう極限まで安い言葉を使えば社会の歯車への回収に見えたし、若さへの固執のきっかけにもなった。
普段「創作者を過度に礼賛しすぎてもよくない。ほかの仕事をしている人だって同じくらいすごいんだから」みたいなことをよく言っているけれど、本音、とみやのネタバレを書いてしまえば、本当に創作文化を礼賛しているのは他でもなく僕なのだと思う。それでも僕は人間であろうとして普通の幸せってやつ(皮肉っぽい言い方だが、単に「なりたいものにならなくても幸せならいいだろう」というときの「幸せ」の話をしてると思ってほしい)を尊重しているし、実際それが僕の好いところなので訂正はしないのだけど(それはそれで、本気でそう思うのだから)、でも、心の奥底では、常にそこに対する執着がうずまいている。知り合いが僕のブログの「発達障害に特別な配慮を施していない会社」をいうために「普通の企業」と表現した箇所を読んで、「何が普通の仕事だようぬぼれやがって」と言ってきたことがある。なんかいまでも共通の友人に愚痴っているらしくて、僕はそれをマジでダサいと思うのだが(今日も読んでますか?)、文脈をずらして、創作業に関して「普通の仕事」的な基準を考えるなら、創作業というのは、まず間違いなく、普通の仕事では、全くない。それは僕の家族を見ていればわかる。生きるのに全く必要のないもの、いいかえれば「人生の便利さ」に一切関わらないものを作るためにあそこまでの熱量と作業量をかけるというのは、完全におかしいし、ほかの仕事ではなかなかこれに近いものは見受けられないと思う。
がんばったところでなんにもならないのだ。仕事の中での人間関係が目的でやるわけでもない。褒められるばかりでもない。人として偉くなるわけでもない。それでも、だからこそ素晴らしい、と感じている自分がいる。空想という実体のないものに価値が生まれ、交換されるというのは、人間らしく、素晴らしい現象だと素朴に思う。
でも人っていうのはふつうだんだんそれに興味を失っていくんじゃないかと思って、それが僕には耐えがたく苦しかった。べつに、才能の不足で諦めるんじゃなくて、ただいつの間にか、「なんとなくそういうのじゃなく」なっていくんだろうと思う。自分に自信のない人が創作物やキャラクターやアイドルとかいった第二現実に憧れて、それとのかかわりを通して自分を好きになっていくというさまが、僕は好きだ。
怖いと感じた。進路が見えてきたらきたで、そのことが怖くなった。僕も、社会に回収され、実体のあるものだけを愛するような人間になってしまうんじゃないか。そうでもなくとも僕の大学生活ってこんなにあっさり終わるのか。ほとんど何事もなしてないような状態で。なりたいものになれないまま。
悲しかったのはここに誰もいないことだ。純粋に友達が少なすぎると表現してもいいのだけれど、いやそれ以上に、ほんとに正直に言えば、仲間が欲しかった。一緒に小説家を目指してくれる、僕と同じくらい実力があって、僕と少し違う作品を好きで、僕と少し違う作品を書く誰かが。こんな赤裸々なわがままもない。でも、そう思わないとやってられないと思うことも多々あった。だって周りは次々に捨ててく。昔大事だったものを、「自分はそういうのじゃない」って。ひどいときにはまさに僕を見て、劣等感をおぼえて、自分の創作物を否定しだす人だっていた。
つーか僕はそんなことばっかりだ。高校生の頃は、ふつうに友達が欲しかったのに、頭がいいと思われて、「自分とは違う人種だ」という目をたくさん向けられた。
いまの僕もシンプルに同じことに励む友達が欲しかったんだろうと思う。ずっと一人で小説を書くというのは、もう、とても、さびしい。周りがどんどん飽きてく中で、僕は書いてる。時には拒絶されるのを承知でへらへらしていやーみんなのもすごいですよとか言いながら。結局自分でほとんどなんの成果も出していないのに。中途半端だ。とても怖かった。多くの人から、「たくさん小説を書いているすごいやつ」と思われているのに、実際は理想にはとても及ばず沈没していくことが怖かった。そう考えると僕のことなんて誰もわかっちゃいねえよなと思った。普段は理性でとどめている残酷な言葉だ。でも僕だって周りの人のことはわからない。「僕を大したことのないやつだと知った上で、それでもがんばっていたことはおぼえていてくれるひと」がいないんじゃないかと思って、それがとっても怖かった。あんだけ色々あって死ぬときゃ一人かよ。しょうがないだろ。大言壮語で自信があるふうな自分を演出していないと怖いんだよ。大口を叩いているのはすべて自己催眠をかけているだけだ。僕はそんな自己催眠のことだって好きだけれど、ふとしたときに訪れる孤独感と虚無感がやっぱり自分の正体であって、それを思い出すと、とても苦しく、さびしく、怖くなる。
でも、それから色々あって、諭してもらえた。僕を助けてくれたのは周りの人のやさしさと、やってきたことはなくならないという単純な事実だったように思う。
僕の小説をもっと多くの人に読んでほしい、それしかない、と思うようになった。いまは。僕の文章をたくさん読んでほしい。僕は周りの人の成果物を全然見ませんが……。
本当にいいものを書けているのか、最近はよくわからなくなる。Skebで感想をいただけるのはもちろんとても嬉しいけど、それはあくまでクライアント一人に向けて書いているものであるし、何より(こんな乱暴な言い方もないが)お金もらってるんだからなるべくいいものを出すのは当たり前なので、これって全然すごくないんじゃないか……みたいな認知のゆがみが生じてくる。これ、本当にそうなのだ。
自分が大事にしているものを軸に小説を書くとき、脳裏にあるのは、守りたい、とか、助けたい、とか、そういった言葉であって、それはたとえば音楽が目指すものに似ている。読んでいる人を直接救いたいとまでは思わないけど、読んでくれた人の中にある「何か」は守りたいし、それがすでに失ってしまったものだというなら掬いだしたいと思う(その意味では伝えたいことなんてなんもないのかもしれない)。そういったことが為せている感覚は、正直いまは、あまりない。
だから、久しぶりにそんな小説を書くためにがんばろうと思って、目下、八月末に締め切りの、メフィスト賞に出すことにした。
このためにSkebの新規リクエストの受付を、一時的に停止させていただいている。八月頭になったら開ける(受付から締め切りまで一ヵ月程度にしているから)ので、そんなに心配しなくて大丈夫かとは思います。ただ僕のわがままを優先させてしまってすみません。
本当に自分の小説を出したいんです。
ちなみに本文はあと12万字以上は書かないといけませんね。
推敲が必要だと感じたら冬季に出す。あたためていた、賭けているネタなので、しばらくはこれに全ベットしたい。
最近、何もかもがブレブレで、本当にすみません。毎日が目まぐるしく過ぎていて、自分の気持ちに深く目を向ける余裕がないときが、多いです。Skebで募集再開を待ってくださっている方。ありがとうございます。
前半の鬱屈としたパートがやたら長いのは、これが、僕がまだまだ感じていることだから、自然と長くなってしまったんです。いまは「自分はすごいやつだ」と自己催眠をかけてる。いや、本当は人に諭してもらえた時に、「おまえはすごいやつだ」と催眠をかけてもらえただけなのかもしれない。でも、それは僕にとって、とても大事で、とても嬉しいことなんです。僕は、人に「がんばれ」と言われることで、「まだまだがんばれる」と錯覚できるという現象が、とても好きなんです。根性論とはまた違って、一種の変身願望なんだろう。「がんばれ」と言われて立ち上がるとき、そのひとは「がんばれない自分」から「がんばれるやつ」に変わり身できる。賛否あるでしょうが僕はそれが好きなんです。単純明快な、幼少期に得たヒーローキャラへの憧れだけで、ここまでやってきているから。僕が直接憧れているのは本当は家族でも小説家でもゲームクリエイターでもなくて、ウルトラマンとかカービィとか阿良々木暦とかその辺だ、ということになります。そして僕はたぶん、何より、一緒にそういうものたちに憧れてくれる人がほしいというだけなんですね。
久しぶりに朝四時まで起きてこの文章を書いている。明日大学だしめちゃくちゃ眠いから完全に寝たほうがいいんだけど、文章を書いていて夜更かしするというとき、やはり一番生きていることを実感できるし、この時間がないと怖くて何もかもが駄目になってしまいそうだ。でも楽しい。応援してほしい。はっきりと「賞に出して、受賞して、小説家になる」って目標のためにがんばるから。
ちなみに新しくXアカウント(@mukotsu_tomiya)をつくった。というかだいぶ前にSkeb用につくったやつで、動かそうとも当時から思ってたんだけど、めんどくさくてやってなかった。いまもXとかいうクソみてえな場所に頼らなきゃいけないのは本当に癪なんだけど(なんだ偉そうに)、でもなりたいものになりたいのにこれを使わないのってさすがに嘘なんじゃないかということにやっと気づいたので、主に告知用に使っていく。フォローするとSkebの募集再開とかの通知が来るかもしれないのと、僕が喜びます。いまんとこあんまり見ない予定だから、逆にめっちゃ拡散とかしてほしい。
このことだけはもっと喋りたいことがたくさんあるはずなんだけど、自分で整理できてない。元々大好きな場所だったのはたしか。
あとカクヨム(@mukotsu_tomiya)もつくった。八月末までみんなが僕のこと忘れない程度に、そして新しく誰かに好きになってもらえるように、適当に動かしてく。
しばらくは本当に何もかもがどうなるかわからないんですが(あの、感情が異常だからです)、がんばるので応援してください。というかもうチヤホヤしてください。誰かにすごいやつだと言ってもらうことでしか、僕はすごいやつになれないんです。でもみなさんもそうでしょう。こんなよくわからないやつの戯言を、こんなとこまで見にきてくれてるんだもんね。僕はすげえしおまえらもすげえし、僕はまだまだなんだってできるしおまえらもなんだってできるし、僕はいまから何にだってなれるし、おまえらもいまから何にだってなれる。Like an 井芹仁菜(←anになってるのおもしろい) ということで、ここは一つ、Win-Winということでいきましょう。一緒にがんばろう。たまに質問箱とかコメントで話聞かせてくれ。まだ死にたくなさすぎ。
あと文フリで販売した小説の電子版待ってくれてる人、いたら本当にすみません……。その、いますか? 本当に?? いたらなんらかの手段でケツ叩いてください。僕は先延ばし癖においても頂点に立つ男。
近況。リトバス見てる。おもしろすぎ。
近況。Slay the Spire、ディフェクトでついにA20クリアした。やった。
近況。なんかあった気がするんだけど、忘れちゃった。4:23。またね。
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