2024/3/5

 エヴァ全話+旧劇(Air/まごころを君に)をようやく見たので、みなさんにネタバレする!!!!





 まず感想は「全然わかんなかったけどよかった」だと思う。マジで全然わかんなかったけどよかった。この前lainはセカイ系って感じしなくない?  って書いたけど、改めてセカイ系の(実質)原点を見ると、視聴感としてはその辺も納得かもしれない。全然わかんないけどよかった。


 わかんないとは言いつつ自分なりに受け止めるなら、他人と自分の違うところを認識して壁を作ることでちゃんとした自己を確立するための話、だったのかなと思った。


 「自分はもう最初からこんな存在だった」「自分の人生は他人に決められたことばかりをさせられる、どうしようもないものだった」と思っていると、「誰かから見た自分」のモノマネばかりしているせいで、人生が矛盾してしまう。そうではなくて、「自分は本来、どんなふうに生きることもできる輪郭のない存在だった」「いまの自分を『こういう存在』にしたのは他ならぬ自分自身だ、これは僕が決めた人生なんだ」と捉え直すことで、祝福される人生を歩むことができる……みたいなことなんじゃないか。というのが僕の解釈だった。


 そこに本来は「シンジくんがアニメキャラであること」とかも踏まえたメタの話が食い込んでくるはずなんだけど、そこら辺はまだちょっとわかってない。が、とにかく思春期の「他人と密接な関係になるのが怖い」とか「セックスしたいけどセックスするの怖すぎる」みたいなATフィールド全開のセカイ系・童貞根性を、それも自分が選んだ道だと誇りを持てばなんとかなる、と肯定的に仕上げてみせたロジックはすさまじいと思った。なるほど!  という感じだ。


 セカイ系の作品って、オチだけセカイ系のアンチテーゼだったりする作品がとても多いんですよね。「他人と関わるのが怖くて狭い世界を選んでしまう」という主人公の描写を中盤でして、それから「もっと広い世界を見ようぜ!!」って言って終わったりする。戯言シリーズとか、あと意外と仮面ライダーオーズなんかもこの文脈だ。でもエヴァは、そうやって結局は否定されてしまいがちなセカイ系のロジックをそのままに成立させていて、それがすごいなと思った。唯一解だ。


 ほかの言葉を使えば「他人をわかった気になる」ことについての話だったのかなという気がする。梶さんが言ってた通り、人は他人を100パーセント理解することはできない。ただ、だからこそ「わからない」と放棄してはならない……のかもしれない。シンジくんが急に色んな人に厳しくされて「僕にはわからないよ!」ってキレて、想像の世界で「そもそもわかろうとしたの?」と言い返されるシーンがあるんだけど、あの辺とかもしかしたらそういう意味だったのかなと思った。


 他人をわかった気になって安心していると、ちょっとわかんないことが起きたときにパニックになって理解を放棄してしまうという罠がある。そして何より、「わかった気になる」ということは、「自分と他人の境界線を薄める」ということと同義でもある。「他人をわかった気になって安心すること」、「他人が求めていそうな自分を演じること」、この二つがエヴァのテーマ的には地雷で、そういうのをやめて「自分」を生きよう!  みたいな明るいことが言いたかったんじゃないかなと僕は思った。


 あと重要な文脈として「オタク批判」があって、上述した内容もたぶん直結してくると思う。シンジくんは「好きなことだけやるオタク」として設定されていて、その姿勢がとにかく否定されまくっている。


 「他人をわかった気になって安心すること」は、「見た作品のことを勝手に解釈してそれに執着する姿勢」への批判。「他人が求めていそうな自分を演じること」は、「二次元のコンテンツの主人公を自分と同一視すること」への批判……なんじゃないかなって思った!  好きなことだけして自分を矛盾させてないで、ちゃんと大人になる準備をしましょうねという。


 つまり、いまこうして文章を書いていること自体、エヴァ的にはアウトってことになるとは思うんだけど、とはいえま〜さすがにいいだろう。普通に厳しすぎると思うし。あくまで当時の環境をふまえての話だったんだろうなと思うし、だから僕はリアタイ世代じゃなくてよかったな〜と思った。これをマトモに受け止めないといけなかった世代はつらすぎる。


 エヴァのパイロットのうち、シンジとアスカは三次元の「視聴者」側。で、レイは二次元の「ヒロイン」側で、カヲルくんは二次元の「主人公」のメタファーが盛り込まれてるんじゃないかなって思った(だから、カヲルくんかシンジくんのどっちかが消えなきゃいけなかった)。まだよくわかってないんだけど……「エヴァに乗ると褒めてもらえて嬉しい」みたいな話も、「二次元コンテンツ自体やそのかかわりの中で、他者に承認してもらえて嬉しい」ってことなのかな?  という気がしてる。まだほんとにわかんないけど。でもこういう感覚があるから僕は対等な友達としてアスカが一番好きだし、レイがシンジくんを助けてあげたいと思ったりすることとかも嬉しくて好き。


 ……トウジはごめんけどわからん!!


 オタク批判は旧劇のほうだとさらに顕著で、そのまんまオタクがいっぱい出てくる。「正しいオタ活で誇りを持って自分を確立したい」みたいな話(合ってるかな)をしていたはずなのに、蓋を開けてみれば社会現象になっちゃって、自分に影響されたせいで没個性の現実逃避オタクが量産されてしまったのだから、たしかによほど悔しかったはずではある。にしてもわざわざ続きが気になって映画館まで足を運んできたオタクにあんまりな仕打ちだぜ。まぁいまの感覚で比べるのは難しいんだろうね。


 ひとつ希望だったのは、エヴァにおける「大人」は、「ちゃんと無二の『自分』を持っている人」として描かれていたような気がすることだ。うまく根拠をあげるのは難しいけど、「好きなことだけして没個性になってる思春期のガキ」を批判してることだけ捉えても、そうな気がする。


 エヴァにおける思春期は、「大人になるための自分探しをする期間」として描かれていた。それはなんか、現代でこそ力強く響くメッセージだと感じる。というか……たしかに、本来そうなのだ。「子どもがみんな同じように見えて、大人はみんな違っているように見える」のが当たり前なのである(単純に身体の成長から考えてもそうだ)。だけど、現代の日本では「大人はみんな同じように見えて、子どもはみんな個性豊かに見える」ようになっている。基本的には前者の世界のほうが健全だなぁと思ったし、それを踏まえて見るシンエヴァも楽しみです。置いてかれそうなのは、ちょっと怖いけど。


 現代じゃ、インターネットが流行しすぎたこともあって、どんな個性を持っていてもわりと「もう見た」としか思われなかったりする。そしてだからこそ、真逆の時代に描かれた「『自分が決めた』という誇りのある人生なら、立派な『自分』になることができる」ってメッセージは、むしろ力を持っているなぁと思った。いまセカイ系を意識した作品が流行っているのももしかするとそういうことなのかなというか、世界の向きが真逆になりすぎたことで、かえって同じテクストの再解釈が強みを持ってるのかなぁ、って感じがしますね。ともかく、そんなことを考えながらアニメ見てるのは、楽しいです。


 以下はなんでもない単発の感想。


・幼アスカ可愛すぎる


・全然よくわからなすぎる


・旧劇、途中本当に怖かった これ作った人がいまの日本の映像監督でほとんどトップクラスに偉いの、どうかしている


・カヲルくん漫画版だとシンジくんにガチでウザがられてた記憶しかなかったから、そこそこ受け入れられててマジでびっくりした


・アスカ、ヤンデレって感じじゃないけどそう数えられるのもちょっとわかるなと思った。思考回路で『ef』の子を思い出した。


・終盤はエヴァを1話見るごとに『アリスとテレスのまぼろし工場』の解像度が上がるボーナスタイムが始まって、すごかった。エヴァ知らなくても本当に観た方がいいし、エヴァ知ってたらなおさら観た方がいい。


・最後にアニメあるあるやり始めたときホンマに嬉しかった。


・『SSSS.GRIDMAN』ってほんとにエヴァ意識してる作品なんだなと思った。劇伴の人まで一緒だし。


・旧劇見てるとき「ブルアカの考察で死ぬほど見たやつだ!!」ってなった。


・全体的にシンジくんに厳しすぎてかわいそうだった。


・本筋に直接関係ない単発回が面白すぎる。


・エヴァかっこよすぎる。


・Fly me to the moonのジャズみたいなやつ急にダサすぎる。


・ミサトさんがほんとに「死になさい」っつってたの一番びっくりした。死なすな。




日記→彼女と出かけてた。酒飲みつつパワポケのサクセスやってるの見ながら、「智美(パワポケの彼女候補)が仮に僕のことを好きだったとしたらこのセリフはさぁ!!」みたいなことを喋り続けていた。楽しかった。