起きて、パワポケやって、え〜と、そう! 爆上戦隊ブンブンジャーの第1話を見て、仮面ライダーガッチャードの最新話を見て、わんだふるぷりきゅあ!の4話を見て、デジモンテイマーズの9話を見て、ワンピースの最新刊を読んで、そのあとしばらくエヴァ見てた。わんだふるぷりきゅあ!は羊にいいところがない。すごく牽引されているわけではないけど、なんだか楽しくて見ちゃいますね。
エヴァ見てたら、なんというか中高生の頃の気分を思い出してきて、すごかった。この歳になってまで未だにアニメ見ただけでその「感じ」になれる僕のほうもたぶんどっか変なんだろうけど、とはいえ物語に「完全に自分事」として捉えられる何かがあるのは、やっぱりすごい。青ブタの『おるすばん妹』読んだときもそう思った。
大人になってから見るエヴァは、「お前、結局『ちゃんと』できたのかい?」と問われているような迫力すら感じる。思春期の頃に感じていた「問題」に、きみは結局ちゃんと答えを出したうえでその先に行ったのかい? っていう。やり残した宿題の存在を匂わせられる感じ。もちろんそんなものはまやかしなのだが、しかしどうしても説得力がある。「大人にならずに大人になるのは悪いことだ」みたいな厳しさが全体に漂っていて、それがテーマのひとつでもあるオタクの内省批判に繋がってきているのだろう(現実じゃない場所で過ごすことに時間を使うことは、「自分」について考える時間を減らすことに等しく、つまりそれは大人になる準備から逃げているだけにすぎない、みたいな説教が頻繁にされていると思う)。そこまで解釈はしたうえで、こわいなぁー、と思うのだった。すごく複雑なロジックでメタフィクションを経由しながら懇切丁寧なオタク批判を展開している。単に、そんなに怖い顔しなくていいじゃない、と思うのだけど、身につまされるのはたしかだ。最終回&旧劇まで見た感想は今度載せる。
ひとつ思うのは、やたらと夕焼けが印象に残ったなぁ、ということだった。これに影響されたゼロ年代作品が夕焼けというモチーフを多用していたというのも、わかる話だ。ただ、なんか個人的に思ったのは、これってあくまで昭和ウルトラマンの影響じゃないか? ってことだった。というか、僕もしっかり詳しいわけじゃないけれど……エヴァ自体がウルトラマンへのオマージュの強い作品であるってことも相まって、実相寺昭雄監督の手法を援用しながら話を進めてる、って側面が強いように思えたのだ。そう考えると自分の中で腑に落ちた。
僕は、「夕焼け」を重んじるゼロ年代作品が、ぶっちゃけあんまし好みではない。良いなぁと思うし面白いと思うけど、自分の核として設定したいわけではないのだ(よく誤解されるから何回も書いてしまう)。で、それはたぶん、僕にとって「昭和」と「平成」の区切れ目なのだと思う。現代の若いオタクは夕焼けに「平成」的なものを見出しているように思うけれど、僕にとっては、それは「昭和」のものなのだ。幼少期の、「帰マンって良いんだけど、なんかいつも夕焼けで戦ってるしずっと土かぶってるし、カッコ悪いな」と思っていた頃の記憶が未だに抜けていない。それよりかは、僕にとっては平成ウルトラマン、というかティガやガイアのイメージである「夜」こそが平成なので、これまでディスコミュが発生していたということに……なるような気はする(個人の好みはさておいて)。「昭和特撮に影響を受けたエヴァからの影響」というのはたぶん95〜05年のオタクシーンにおいてかなり重要なものだったんじゃないかと思うけれど、「平成特撮に影響を受けた作品」も相当数あるはずで、僕はそれが好きだなぁと思う。自分にしかわからない話をしています。
コメントをお書きください