疲れきったので昨日早めに寝る予定だったんだけど、ブルースカイで「小説家になりて〜」みたいなことつぶやいてたら年上の人にものすごい上から目線の空リプをもらってしまい、それがショックすぎたのと花粉症でねむれず、結局おそくなってしまった。
創作活動を「自分の人生を豊かにするツールとしてやってるんでしょ?」くらいに捉えている人から色々言われることが多いのだけれど、それが良いか悪いかは別として、実情としては的外れなので、そう思われるたびにとてもつらくなってしまう。基本的には、作品のためにやっている。もっといいものが書けるようになりたいとか、もっと多くの人の目に留まる力を得たいとか、生活と執筆を両立させたいとか、そういう打算から小説家になりたいと言っているだけなので、憧れでやっているわけではないのだ(少なくとも、いまは)。
「小説家になりたい」と言っている人の多くは、憧れで努力している。「自分が小説家になりたいから」小説を書くのだ。それは、僕とは違った仕方で、立派でカッコいいと思う。小説家になったり、みんなに認められることだけが目標なのであれば、「小説を書く」という行為は一種の「努力」という文脈に回収されるからだ。つまり、なれなかったら、無駄になるかもしれないものである。それに情熱をかけられるのは、どう考えても生半可な覚悟じゃないだろう。一方、僕はそうではない。「もっと小説を書けるようになる」という目的のために小説を書いているし、たとい小説家になれなくとも、いままで僕が書いてきた作品たちは一つも意味を失わないと承知している。この二つを混同して僕を「特別な人間になりたいだけならほどほどに頑張ればいいんじゃない?」と諭そうとするのは、なんというか、僕のことも、そしてほかの真剣に夢を見てる人たちのことも軽視した行為だと思う。端的に言えば、ナメている。僕は夢に向かってコツコツ努力するみたいなことができないから、本当は、むしろ例に挙げたような夢追い人たちのことを尊敬しているのだ。
「好きなことで生きていきたい」程度のモチベで学生時分の暇をワナビ活動に使ってる人は、何人も見てきた。そうした人だって、著しい才能があるか、あるいは何かの転機を迎えるかの可能性があるので、一概には言えないが……でも、だいたいの人は、やめた。そういうのは何度も見た。芽の出なさに心を折ったりするわけでもなく、いつの間にか楽なほうに流れて、あっさりやめた(どいつもこいつも何を勘違いしてるのか知らないが、小説家になろうとするのは、基本的に辛い)。そういう人たちは、僕のようなのとも、本気で小説家になるための進路選択をしてきた人とも、違う。そういうワナビたちがしていたのは、ただの、「小説家を目指す」という形態をした趣味だ。将来に、生活に余裕があるから、そうなる。本来辛いはずなことの、ガワになったおいしい部分だけ拾える。
もちろん他人の趣味を否定する気まではないのだけれど……でも、僕みたいなうじうじした人間が普通のワナビみたいなことを言うと、こんくらいナメられんだな、って改めて思った。暇だからやっているわけでもないし、楽しいからやっているわけでもない。そして、それはほかの真剣に夢を追っている人も同じだ。20歳超えて小説家になろうとしている人間はたしかにマジで愚か者なんだけど、でも、その愚か者ゆえの知恵や経験、何より切実さがある。そこに誇りを持っているし、ほかの尊敬する人間の領分を侵さないように心がけるエチケットも持っているつもりだから、結論としては、まぁ……、僕はこうして個人サイトで淡々と書き物をしているくらいがちょうどいいんだろうなー、と思った。普通に応援されてみたいけど、それが変な偏見の助長に繋がるんなら、だまるしかない。
ろくに相手の作品を読んできてもない人にとやかく言われるのは、とにかくマジで悔しいですよ。趣味やおもしろみだけで書いた作品もあるけど、そうでない作品のほうが多い。書く理由が、それぞれにある。「これが言いたいからこいつはこの作品を書いたんだな」と思ってもらえるような作品を書けるように、これからもがんばる。ほんでこういうことはなるべく作品で力強く言えるようにします。
そういうのもあって『オーバーライド』ってすごくかっこいいですよね……。
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