2024/2/20

 友達と遊びに行き、カラオケで朝5時まで過ごした。楽しかったんだけど、かたや公務員試験の勉強に励んでいる立派な友達、かたやいつの間にか就活の準備を始めている自立した友達って感じで、僕って……何だ!?  と思ってしまい、ほとんど泣きながらとぼとぼ帰宅した。


 就活に面して、「普通に生きてみたかった」という思いが、胸の奥でじくじくと膿んできているのを感じる。普通にがんばれる人になりたかった。お金がないと言って人の誘いを断ることもしたくなかったし、バイトをしてないことで友人に嫌味を言われたりもしたくなかった。もっとあたたかい家庭で少年期を過ごしてみたかったし、みんなが当たり前に言ってる、旅行ってやつにも連れて行ってもらいたかった(うちには金がない)。


 朝6時半にはボロ泣きしながら、この先に、ありえないくらい重い文章を書いていたけれど、載せん。


 なんとなく泣いてたおかげで大事なことに気づけた気がする。最近の僕はなんというか、「普通」という語彙に敏感すぎたというか……、「普通に生きられない自分から見たすごい人たちばかりの世界」みたいなテーマに縛られすぎていた気がする。そうではなくて、本当に小説家になりたいのなら、「普通に生きられない自分」に誇りを持つくらいじゃないといけないのかもしれない。もっと創作に全力全開になって、エゴ全開で生きていくしかないのかもしれない。なんだか最近はニュートラルを気取りすぎていたけれど、そうではなくて、僕は順当にバイアスのかかりまくった人間だし、普通に生きられる人のことが羨ましくて狂いそうなくらいだ。自分みたいなやつには「普通」のことは何もできない、って本気で思っている。それが悔しくて何度も泣いている。正しいことばかり言わずに、考えずに、やりたいことがあるんだから、僕の外道性をそこに費やしていくべきなのかもしれないな、と思った。「僕は僕で、みんなと同じく、ちゃんと生きてていい人間なんだ」って、心の底から思い込んで、元気な作品を書いてみたい。


 普通に生きてみたかったことに対する未練を飲み込んで、覚悟を決めるしかない。そんなことはもうとっくにわかっていて、だからこそそういったことを他人に言われるとすごく傷ついてしまうけれど(それは気持ちの問題で、ゆえに時間が必要なものだ。社会の流れとは関係なく)、でも、いまはこのつらさを推進力にしたいと思っている。僕以外の人間には決して想像しえないとんでもないつらさで、起きてこれを書いているいまもほとんど泣きそうだけれど、それでも、がんばる。


 いや、もはや「がんばる」じゃなくて、「楽しくやる」とか、「息をするように小説を書けるようになる」とかが目標なのかもしれない……。


 やるぞ。おまえらにはできないことを。


 どんなふうに思われても、僕が人として希望を持てるようになるための屁理屈づくりには、これから労力を惜しまない。ぞ!!


 それはそうと『青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない』を読み終わった。おい。嘘だろ。なあ。マジ?  精神に変調をきたしていた。


 あ、何事もなければ夜に『シェケナベイベー』って短編小説をあげます。よろしくね。